飯山城

別名-  付近住所 鳥取県米子市久米町 現在-
2008/11/25 案内板アリ


柳生奮戦の地と飯山城跡
 約500年前に築かれた伯耆、出雲の国境の重要なとりでで、中世には、山名、尼子、毛利など戦国の攻防戦が繰り返された。山頂には、南北約85m、東西約35mの曲輪が古い二段の石垣で築きあげられている。湊山と山続きであったので、江戸時代には湊山本城の東のとりでとなった。
 慶長8年(1603年)11月、家老横田内膳村詮が、主君中村一忠に暗殺されると、横田方が反旗をひるがえし、飯山にたてこもって激しい戦いが起こった。これが、世にいう「米子城騒動」、「中村騒動」である。このとき、横田方の剣豪柳生五郎右衛門(但馬守宗矩の兄)が、中村方の武将矢野助之進らとわたりあい、十文字槍をしごいて中村方を多数討ち取ったという武勇伝は有名である。